オランゲーナのくさくさブログ2

アニメの話や声優さんの話をする予定です!

高坂穂乃果は普通の女の子だ

最近、Twitterのタイムラインを眺めていると「高坂穂乃果が普通の女の子だなんて有り得ない。あの娘は神の子」といったような発言をチラホラと見かける。アニメを見てどんな感想を持とうが、それに対して他人にどうこう言われる筋合いが無いのは十分承知な上で、でも言わせてもらいたい。「彼ら彼女らが見ていたアニメラブライブ!と僕が見ていたラブライブ!は全くの別物ではないのか……」と。僕が見た限りだと高坂穂乃果さんは紛れもなく普通の女の子だ。そこで僕が、高坂穂乃果が普通の女の子だと読み取ったポイントを順に挙げていくとする。

 

※今回はアニメ版ラブライブのみの話とする

 

 

1期

・1話

ダンスの練習を始めても最初は全然うまくいかない。天性のセンスがあるわけでもない普通の女の子であることが示されている。

 

・2話

体力がそんなにないし、当然曲も自分で作れるわけではないのだ。

 

・3話

そうは言ってもここまではなんだかんだ順調に物事が進んでいたかのように見えた穂乃果が初めての苦境に立たされるのがこの話ですね。初めてのライブ、自分たちが上手くできるかどうかの心配はしていますが、お客さんは当然来てくれるものだと信じきっている。そんな中でいざ幕が上がってみればお客さんはゼロ。「世の中そんなに甘くない」と穂乃果はへこんでしまう。そこへやってきたのが花陽ちゃん。花陽ちゃんがいるから、見てくれる人がいるから、と穂乃果たちは立ち直りSTART:DASH!!を歌いきるのだ。

お客さんがゼロだと分かったとき穂乃果はへこんだが、そこから一人で超人的なメンタルの強さで立ち直るわけではない。駆けつけてきてくれた花陽ちゃん、真姫ちゃんの作ってくれた曲、三人で練習した時間、それらが穂乃果を立ち直らせたのだ。決して穂乃果は一人で何でもできるわけではない、助け合いながら生きている普通の女の子なのだ。

 

・5話

矢澤にポテトを盗まれた時も真っ先にポテト返せと口に出るあたり、食い意地の張った普通の女の子なのだ。

 

・6話

希が言うように穂乃果は何かをクリエイトしているわけではない。そんな穂乃果が不思議と人を惹きつける魅力を持っていることを人によっては「神」と表現するのかもしれない。しかし、僕は才能に恵まれない普通の女の子がひたむきに頑張っているからこそ、穂乃果は人を惹きつけるのではないかと思う。

 

・7話

普通の女の子なので勉強ができない。というか一生懸命勉強しても50点台なあたり、ありがちな「普段はサボってるけど本気出せば呑み込みが早いタイプ」でもない。普通よりも大分頭の悪い女の子だ。

 

・9話

普通の女の子なので媚び媚びした「いらっしゃいませ」ではなく、家の手伝いの癖か大分江戸前な「いらっしゃいませ」である(だがそれが可愛い)。

 

・10話

隙があれば練習サボりたくなったり、まるで我が家のようにゴロゴロしてしまう、そんな女の子なのだ。

 

・11話~13話

今回このブログを書く一番の目的がここだ。ここ以降は多分蛇足になるよね。

穂乃果がスクールアイドル始めて以降二つ目の大きな逆境である、ライブ中に倒れたこととことりの留学。穂乃果はスクールアイドルを辞めると言ってしまう。穂乃果が辞めた後、そのままμ’sは空中分解。穂乃果は抜け殻のように過ごす中、矢澤や絵里と再会し、そして講堂での園田との対話の後、ことりを連れ戻し今度は9人でSTART:DASH!!を歌い踊ったのであった。

ここで僕が一番言いたいのは、「穂乃果を神という人は、穂乃果がμ’sをやめると言い出す前の8人と一緒じゃないか」ということだ。「穂乃果なら大丈夫だろう」とどこか穂乃果を過信し頼りすぎていた8人も、穂乃果が辞めたことをきっかけにもう一度スクールアイドルや穂乃果を見つめ直し、そして再び9人の心が揃って前に進んだのだ。「穂乃果は神」なんて言っている人たちは12話の時点から前に進めてないでしょうが!

 

 

2期

・1話

最後の穂乃果が「雨やめー!」と叫んだら実際に雨が止んだシーン、このシーンを根拠に穂乃果は神だという人も多い。だが待って欲しい。本当に穂乃果が願ったから雨が止んだのだろうか。

花陽たちが走り回って伝えた第2回ラブライブ開催の知らせにメンバーたちは俄然やる気を出すが、穂乃果だけはどうしてか乗り気でない。しかし、矢澤との階段ダッシュもあって今年で卒業の三年生の思いを知り穂乃果もラブライブ優勝を目指すのであった。

ラブライブは心象を言葉で無いもので演出する場面も多い。雨が止んだシーンも穂乃果の心が明るくなったという見方もできる。ただ、本当にそれだけなのだろうか。「雨やめー!」の前に8人(に続いて穂乃果も)でススメ→トゥモロウの出だしを歌っている。1期1話でのススメ→トゥモロウは冒頭部分とED前で流れた。ED前の方は、海未がことりの説得と練習する穂乃果を見てスクールアイドルをやることを決意する、要するに3人の心が揃った時に歌いだした曲なのだ。その曲を2期の1話のこの場面でもってきたということは、このタイミングで9人の心が揃ったからと言ってよいだろう。したがって、この後雨が止むのも穂乃果一人のおかげではなく「9人の心が揃ったから」と解釈するのが妥当ではないだろうか。

 

・2話

この話の穂乃果に関しては僕でも超人的な何かを持っていると言わざるを得ない。普通は寝相が悪いからってあんな夢遊病かってくらいの長距離移動しない。

 

・5話

穂乃果は神でないので楽しみにしていた修学旅行であっても天候を操作することはできない。

 

・6話

新田恵海「青春って一回くらい迷うことあるよね」

 

・7話

普通の女の子なので太ることもあるし、ダイエット中でも我慢できずにお菓子を食べてしまう。神ではないからミスをしてしまったらしっかりと謝るし、無い袖は振れない。

 

・8話

普通の女の子なので幼馴染の恋愛事情に興味津々なのだ。

 

・9話

大雪の中、音ノ木坂の皆の助けもありなんとか会場に辿り着き見事ライブを成功させるこの話。このライブを成功させるまでの過程が“奇跡”と言われることも多い。確かにあの場で見事なsnow halationを披露できたのは奇跡的な巡りあわせのおかげかもしれない。しかし、その奇跡を実現できたのも穂乃果たちの地道な積み重ねがあったからこそだと僕は思うのだ。雪道の中、ライブ会場へと辿り着けたのは音ノ木坂の生徒たちが必死に雪かきをしてくれたおかげだ。ここで音ノ木坂の生徒たちが3人を助けてくれたのも穂乃果が、μ’sが音ノ木坂のことを思って頑張ってきたからではないだろうか。穂乃果が、μ’sが頑張ってきてくれたから廃校を免れることができた。2期では穂乃果たち2年生3人は生徒会としても、時には衝突もありながら生徒のために尽くしてきた。そういった頑張りに音ノ木坂の生徒たちが応えようとした、その気持ちが奇跡を呼んだのだ。決して穂乃果が神だからではない。

 

・10話

普通の女の子なのでモタモタしていたら年越しの瞬間を中途半端に迎える。「みんなで叶える物語」も支えてくれた、応援してくれた人に向けてのキャッチコピーだ。

 

・11~12話

神ではないので流れる時を逆行させることはできない、終わりのときは来る。と言いたいところだけど劇場版次第。

 

・13話

もうこの話めっちゃ大好き。京極尚彦 is GOD(ただの感想)。上手く言葉にまとまらない気持ちなら歌で表現しようとする穂乃果。その穂乃果らしさにバッチシ納得する海未とことり。等身大の精一杯を歌う女の子たち最高じゃないっすか。要するに神じゃなくて女の子だから良いのだと言いたかった。

 

 

・まとめ

ウダウダと長くなってしまったが結局何が言いたかったのかというと、アニメ版ラブライブは終わってみればμ’sのサクセスストーリーだった訳だが、穂乃果を神と言ってしまうのは、そのサクセスに至るまでの過程を無視するかのように僕には思えた、ということなのだ。ラブライブの良さは、穂乃果に限らず9人の女の子たちの等身大な悩みや挫折、努力に共感できる面も少なくはないはず。

最後にこう言って締めるとしよう。「僕が好きになった女の子が神様であってたまるか」と。