オランゲーナのくさくさブログ2

アニメの話や声優さんの話をする予定です!

ラブライブと僕

 ラブライブサンシャインのアニメ全13話の放送が先日終了しました。長いようで短かったこの3か月、僕は7~9月クールに放送していた他のアニメをほとんど見ないくらい、サンシャインに脳天をぶっ叩かれていました。アクエリオンロゴス以来の衝撃でしたね(割と近い)。という訳で、ラブライブサンシャインのアニメのどこが凄かったのかを事細かに書く……のではなく僕自身の話を始めたいと思います。

 

 無印ラブライブが最初にテレビ放送されていた2013年1月、当時の僕は全然ラブライブに注目しておらず、初めて全話見たのも確か同年3月辺りにあったニコ生での一挙放送です。この時期はまだ「普通に面白いアニメのうちの一本」くらいの認識だったと思います。  僕の中でラブライブの存在感が大きくなったキッカケは2013年10月からの再放送でした。当時僕は大学3年生、就活を目前に控えていました。「これからはやりたくもない労働に人生を消費することになるのか……」と暗い気持ちになっていた僕は再放送のラブライブを見ます。するとどうでしょう、自分たちの「やりたいこと」に邁進する彼女たちの姿がとても眩しく見え、初見時の何倍も感動してしまったのです。就活中に見るラブライブの「やりたいこと」を問い続けるメッセージ、刺さらない訳がありません。刺さってしまった結果、就活へのやる気がゼロになり割と卒業直前まで内定が出なかったのは、また別の話。  そんなこんなでラブライブにハマってしまったのですが、2014年2月8日、4thライブの一日目、僕は入試の案内のアルバイトをしていました。「何でこんな雪の中μ’sちゃんも見ずにバイトせなアカンのや……」とテンション下がりつつバイトを終え帰宅。疲れた体でツイッターを見ていると、知り合いから「9日当日のチケットが取れたのでLVのチケット譲るよ」との連絡が。即Yesと答えた僕は、LVとはいえμ’sちゃんを見られることになったのです。  9日当日MOVIXさいたまでμ’sちゃんのライブを見た僕は、またここで価値観が変わるレベルの衝撃を受けました。ちゃんとオタクライブを見るのが初めてだった僕は、スクリーン越しとはいえ、彼女たちの発する輝き、エネルギーに全身を沸騰させられてしまったのです。「なんだこれは。これがスクールアイドルか」と完全に放心状態になってしまいました。サンシャインを最後まで見た今だからこそ思ったのは、当時の僕はきっと

μ’sになりたくなった」んですよね……

   2期や5thライブ劇場版の話は長くなるので割愛します。

 同じような時期に自分に衝撃を与えたものの中にラップがありました。ラブライブを通じてツイッターでの繋がりが増えていく中、僕はアニメオタクなのにラップが好きな一見奇妙な人たちと出会いました。彼らはスタジオチンポという自主スタジオでアニメを制作しているそうです(大嘘)。2014年の9月、彼らが主催でオフ会を開くらしいので、僕は行ってみることにしました。そのオフ会は2日間に亘って行われるもので、1日目はプライベートシアターでラブライブ4thライブを見てはしゃぐ、2日目は河原でBBQをしながらラップをするというものでした。最初僕は1日目だけ行こうと思っていたのですが、行ってみたらめっちゃ面白かったので2日目も参加することにしました。当時、僕はラップをやるどころか、MCバトルを少し見たことがあるだけで音源もほとんど聴いたことがなく、どのようにラップをすればよいのか全然分かりませんでした。何をすればよいのか分からなかった僕は、とりあえず音に合わせて女性声優の下ネタを喋ってみました。そうしたらなんか回りにウケていて、僕も楽しい気分になりました。この出来事が、僕にとってはラップ、しいて言うなら自己表現の原点と言えるのでしょう(最悪)。

   時は経ち、僕は就職し、また、スタジオチンポの人たちの協力の元、音源の制作にも挑戦してみました。そんな中、2016年7月、遂にラブライブの続編であるサンシャインのアニメ放送が始まります。  サンシャインの主人公である高海千歌は偶然見かけたμ’sの輝きを見てスクールアイドルを志します。もうこの時点で、同じくμ’sに憧れていた僕は、自分と重ね合わせてしまい、感情移入せざるを得ない状況な訳です。千歌の幼馴染である渡辺曜ちゃんは、ずっと千歌と一緒に何かをしたいという思いを抱えていた娘でした。曜は千歌が「何かやろう」と言い出すのをずっと待っていたのです。まさに「お前待ってたんだろ俺が言い出すのを おっぱじまってる今すぐ集合」な訳です。実際、現実でもなんとなく何かやりたいと思っていても結局何もできずに終わることは多くて、実現するためには何が必要かというと「無理を承知で強引に『始めよう』と言ってくれる人」なのです。幸い自分の周りにも、手間暇かけて積極的にイベントを開催してくれたり、音源やってみようと誘ってくれる人がいたおかげで、今までやったことがないことにも挑戦できたので、本当に千歌みたいな人は大切だと実感しました。千歌は自分のことを「普通だ」と言っていますが、僕は彼女みたいに何かを始める最初の一歩を踏み出せる人は凄いと思うし、尊敬もしています。  他に僕の好きな話をピックアップするならば、それは5話になります。津島善……ヨハネちゃんは自分のことを堕天使と称する女の子ですが、5話冒頭では普通の女の子になりたがっていました。彼女も高校一年生、大人になるにつれ「堕天使キャラ」は恥ずかしいものであると自覚していたのです。そんな善子ちゃんは同級生の花丸やルビィ、高海千歌Aqoursの皆と接する中で「堕天使キャラ」を隠すことができない自分を受け入れ、等身大の堕天使ヨハネとしてスクールアイドルを始めることに決めます。善子ちゃんがヨハネを受け入れて前に進めたのは、千歌をはじめとしたAqoursの皆にヨハネを受け入れてもらえたことが大きいと思います。本当は誰にも頼らず自分が自分であることを誇れれば一番良いのでしょうが、人間そう強くはありません。僕も自身のキモいと思っていた部分をさらけ出したところ、案外受け入れてもらえた場所がありました。その場所が、僕自分が自分であることを受け入れるきっかけになったような気が、今ではしています。また、自分を隠した状態での付き合いでは、信頼関係は築けません。ヨハネを隠して学校生活を過ごしたところで、心の底から信愛し合える友はできていなかったでしょう。僕自身が今ツイッター上で仲良くしている人達との関係は、「互いにキモい所を晒しあった仲」と言えるのかもしれません。

   ラブライブサンシャインアニメの終盤、彼女たちはμ’sを目指しているだけではダメなことに気が付きます。大変自分勝手な言い方になりますが、このあたりの展開に僕はとてつもないシンパシーを感じ、影響を受けまくっていました。自分はμ’sになれないと薄々気付きつつあって(薄々じゃねえよハゲ)、これから先何を自意識の支えに生きていけば分からなくなっていた時、サンシャインを通じて自分の「やるべきこと」が見えてきた気がしたのです。  アニメで描かれたAqoursの物語は、一見μ’sをなぞっているように見えて、その実μ’sとは全然違う、彼女たち自身の物語なのです。彼女たちに必要だったのは、Aqoursの物語を「皆に伝える」こと。だから、最終回のミュージカル・ライブで彼女たち自身の物語を皆に伝えるのは必然であり、その物語に共感し、参加してもらうことが「0を1にする」ということなのではないでしょうか。  ラブライブサンシャイン最終話を見た僕は、こう思いました。「Aqoursの皆が自分たちの物語を誇り、皆に伝えたのだから、僕自身も自分の物語を誇り、そしてそれを表現しよう」と。自分の人生なんて客観的に見たら、タダの童貞ネクラオタクのジメジメした物語でしかありません。でもそんな人生の中でも、大切な人たちや大切なアニメと出会えたのだから、そんな瞬間一つ一つを誇りに思っていこうと。寧ろ誇りに思わなかったら、その人たち、作品たちに失礼なのです。今年の7月、聖蹟桜ヶ丘にて複数名でスピーカーを囲い、皆でラップをしていた時のことです。僕が女性声優への憧れをラップしたところ、友人はこう言いました。「オラディーさんは内田彩さんや南條愛乃さんにならなくても、そのままでいいと思いますよ」。この言葉で僕はハッとしました。「なれないものにはなろうとしなくていいじゃん!!」と。人生とは、持っていないカードに焦がれるものではなく、手持ちのカードで工夫して戦うものです。彼がどういう意図でその発言をしたのか、そもそも発言自体を覚えているのかは分かりませんが、確かに僕にとってその言葉は救いであり、また、発破をかけられたようにも感じられました。

 とにかく、Aqoursに「お前もやんな、OK それじゃーな」と言われてしまった僕は、川底から砂金を探すように、鈍くても良い「自分の輝き」を見付けようと決意しました。  それはある意味で、3年前μ’sに「なりたかった」僕がかかってしまった呪いが解けたようで、気持ちの良いことでもありました。  自分の物語を誇るスタートとして、書き始めたブログもこの辺で終わりにしましょう。以上、μ’sAqoursに影響を受けてしまった、埼玉の隅っこの小さな男の話でした。