オランゲーナのくさくさブログ2

アニメの話や声優さんの話をする予定です!

2021年で印象に残ったアニメ(やくならマグカップも/IDOLY PRIDE)

僕はあんまりアニメを見ていないので「2021年のアニメ10選」とかは出来ないのですが、それでも自分として「2021年のアニメと言えばこれでしょ」というものについては文章化しておきたいので、まあ以下に書いていきます。

 

・やくならマグカップ

「レイアウトや演出が良い」みたいなことは1期放送中にブログでも書きましたが、2期でもその良さはそのままに作画自体も少しリッチになっていたのは率直に嬉しかったです。

1期、2期通じて個人的にグッときたポイントは、創作・ものづくりへの実感が溢れていた点です。

1期OP『扉を開けたら』の歌いだしの歌詞「一緒に見た景色や溢れてくる気持ち 消えないように形にして残しておきたい」は正にその象徴で、自分としては歌詞を書くキッカケであったり、もっと一般化するならこうやってブログを書こうと思うことであったり、「日常を切り取る」感覚が身近なものとして描かれていたのが共感ポイントでした。

陶芸をテーマにしていることで、創作することを芸術・アートとしてだけではなく、作った作品が人に使われること(使った上で消耗してしまうこと)に重きを置いていたのも非常に良かったです。

作ったものが使われることは、作った人と使う人のコミュニケーションであり、ものを介せばそのコミュニケーションは時間・時代を超えます。1期では作品や陶芸自体を通じて陶芸部員同士や、姫乃と亡くなった母姫菜との親子のコミュニケーションが描かれ、2期では加えて、十子と祖父、姫菜がいた時代の陶芸部と現陶芸部、姫菜の作品に感化され来日したヒメナ・バルデスとの関係など、コミュニケーションは更に複層的になります。

そういった言葉を超えたコミュニケーションが陶芸に限らない「創作・ものづくりの喜び」であることを視聴して感じられたのが、『やくならマグカップも』の自分にとって一番の魅力でした。

 

・IDOLY PRIDE

2021年初頭の初見時にはボロクソ言っていたのですが、再放送で視聴を重ねるうちにいつの間にか好きになっていた作品です。

IDOLY PRIDEといえば”サプライズやフックだけに頼らない、しっかりとしたキャラクターのドラマを描けている”(リスアニ! Vol.43)ですが、初めて目にした時は???だったこの言葉も10月クールのSELECTION PROJECTを見たことでその輪郭がおぼろげながら分かってきた気がします。SELECTION PROJECTは特に終盤の展開にはドン引きしながら見ていたのですが、あのちぐはぐさは「サプライズとフックでドラマを描こう」としたからなのではと推測せざるを得ませんでした。

IDOLY PRIDEのアニメのストーリーでは、麻奈が亡くなっていること(幽霊であることと)と麻奈の心臓がさくらに移植されていることは一見サプライズやフックのようですが、まず麻奈が幽霊であること(そしてそれは牧野に見えていること)は起承転結の起です。麻奈の心臓がさくらに移植されたことも、一旦驚かれはするものの登場人物たちはすぐにその事実に納得します(視聴者サイドは初見では置いて行かれますが)。言わば終盤の話における起になります。心臓移植自体が物語の肝ではなく、それを前提とした上で、さくら、琴乃、牧野、麻奈の4人の関係性・因果が重要なものとして浮かび上がってくるのです。間違っても心臓移植が原因でさくらが体調を崩しライブできるかどうかで視聴者をハラハラさせようとはしません。

SELECTION PROJECTのような極端な例を除いても、視聴者を驚かせる展開によって人気を得ている作品は結構あります。ただ、そういう作品はどうしてもサプライズの時点が面白さのピークになってしまうことが否めないと思うのです。

皆さん知ってのとおり僕はネタバレアンチアンチなのですが、その理由として「ネタバレによって面白さが損なわれる作品は複数回の視聴に堪えないから」というのがあります。サプライズやフックに頼った作劇というのは、1回目の視聴が面白さのピークになる=ネタバレされるとつまらなくなる と言い換えられると思います。「サプライズやフックだけに頼らないドラマを描く」というのは、複数回の視聴でも擦り減らない魅力を描くことであり、ストーリーのパターンが飽和しているように思える現代の作品作りでは非常に重要になるのではないでしょうか。

 

最後に、今IDOLY PRIDEの話をするならば神田沙也加さんの訃報のことは避けては通れず。

IDOLY PRIDEにおける伝説のアイドル長瀬麻奈役として神田沙也加さんはこれ以上にない適役であり、その演技と歌は物語の説得力を数段階引き上げていました(そもそも神田沙也加さんじゃなかったら成立していなかったと思います)。亡くなったアイドルの役を演じていた中で本当に亡くなってしまうなんて、ただただ「こんなことってあるかよ……」という悲しみがあります。

それが良いことなのかどうか今はハッキリとは分かりませんが、長瀬麻奈役は他の方には交代しないと発表がありました。作品を再生すれば神田沙也加さんの芝居と歌はそのままそこにあり、それは彼女と視聴者の接点として残り続けます。その接点を忘れないとまでは言わずとも時折思い出すことが、今自分たちにできる精一杯なのではないでしょうか。

R.I.P.